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2021年9月25日土曜日

「一匹の羊に目を留めるべきことを訴える秋の良作」紹介(1)「赤い原罪」

 

「一匹の羊に目を留めるべきことを訴える秋の良作」紹介(1)「赤い原罪」

2021年9月24日15時41分 執筆者 : 青木保憲
3-3 minutes

映画「赤い原罪」 / 10月2日(土)よりユーロスペース他で公開 / 宣伝・配給:ガチンコ・フィルム

新約聖書のルカによる福音書の中に、とても有名な例え話がある。

あなたがたの中に、100匹の羊を持っている人がいて、その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める1人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。(ルカ15:4~7)

これは聖書を読む多くの人が感動すると同時に戸惑いを感じてしまう箇所でもある。というのは、「例え話としてはとても良い話だが、果たして現実にこんなことができるだろうか」と考え込んでしまわざるを得ないからである。戸惑いの声は次のような内容だろう。

「1匹を求めて探しに行くのはいいが、残り99匹の番はどうするのか」
「悔い改める必要のない多くの人よりも、たった一人の罪人への思い入れの方が強過ぎないだろうか」

現実の世界でこのイエスの例えを実践しようとするなら、組織は立ち行かないし、共同体としての成長や発展は見込めない。だからどうしても大勢的な判断が優先されてしまう。

しかし一方で、この壁を打ち壊すべきだと訴える者も絶えることがない。イエスが語られた「99匹の羊よりも目の前の1匹」という命題を真摯(しんし)に受け止め、これを現実社会に適用しようとする姿勢は、クリスチャンだけでなく、格差社会といわれて久しい現代社会においてこそ求められているものである。そして多くの心ある人が、葛藤を抱えながらも日夜この問題と向き合っている。

神を呪う父娘と修道女の出会い 牧師の資格持つ監督が描く「赤い原罪」

映画「赤い原罪」より

そんな理想と現実の歪みがコロナ禍でさらに顕在化されつつある現在、この問題を私たちに鋭く突き付けてくる映画2作品が相次いで10月に公開される。今回はこの両作品を「一匹の羊に目を留めるべきことを訴える秋の良作」と題して、2回に分けて紹介してみたい。

1作目は、「赤い原罪」(原題:Original Sin)というモノクロ韓国映画である。特筆すべきは、本作の監督、文信久(ムン・シング)が神学校で10年間学び、牧師の資格を持っているということである。つまり、神学的純度がかなり高い作品として仕上がっていることになる。

物語は、とある漁村の地方教会に白髪の女性が訪れるところから始まる。彼女は40年前、その教会に修道女として務めていたという。当時、その村には体に障がいを負った父親とてんかん持ちの娘が住んでいた。彼らは貧しく、かつ何かに怒りを抱えている様子だった。援助の手を差し伸べる教会の活動には否定的で、一切他人のサポートを受け取ろうとはしない。しかもそのような救済活動の先頭に立つ修道女に対し、父親は辛辣(しんらつ)な態度を隠そうとしない。一体この父娘をどうしたらいいのか。彼らに届く救いの手はないのか。また、どうして彼らはここまで教会や神を呪い、そして修道女に対して心かたくななのか。父娘に隠された「ある秘密」があらわになったとき、この物語全体を覆っていた「(原)罪」もあらわになっていく――。

「一匹の羊に目を留めるべきことを訴える秋の良作」紹介(1)「赤い原罪」

映画「赤い原罪」より

公開前なのでネタバレなしで語ることになるが、本作は相当な覚悟を持って鑑賞することが求められるだろう。確かにカトリック的な宗教映画であるが、遠藤周作の『沈黙』とはまったく対照的な作風である。そしてかつて「シンドラーのリスト」でスティーブン・スピルバーグ監督がモノクロの画面に印象的に赤を挿入する演出をしていたが、それを幾倍にもドギツくしたような色の使い方は、観る者の心をかきむしることになるだろう。

観ていて心が苦しくなる。しかし見届けなければならない。なぜなら、本作は鑑賞している私たちの生き方、世界観に果敢に挑戦してくる作品だからである。監督が牧師の資格を持っているということもあるだろう。私たちが教会や信仰書(または神学書)で「原罪」について知ったとする。恐らくそれは、「人間は生まれながらにして罪人である」と要約ができるし、もう少しアカデミックにするのであれば、「この概念を提唱したのは5世紀の神学者アウグスティヌスで・・・」というトリビアを付け加えることだろう。しかし、これらはどこまで深堀りしても、しょせん「第三者的立場からの考察」にすぎない。

本作は「原罪」をリアリティーあるものとして、観ている私たちに突き付けてくる。鑑賞中、この父娘、特にペク・スンチョル演じる父親の言動に私たちは辟易(へきえき)するだろう。「何でこいつはこんなに横柄なのか」「どうしてせっかくの救いの手を払いのけるのか」「それでいてどうして主人公の修道女に執着するのか」。特に女性を侮蔑しながらも執拗に追い掛ける父親の姿に、女性であるなら嫌悪感を抱いてしまうだろう。だが・・・(ここから先は言えません!)

「一匹の羊に目を留めるべきことを訴える秋の良作」紹介(1)「赤い原罪」

映画「赤い原罪」より

本作は、まさに「あなたがたの中に、100匹の羊を持っている人がいて、その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」と問い掛けるイエスの言葉が、鋭く私たちの心に、そして信仰に突き刺さる一作となっている。監督は、神義論(神がいるなら、どうしてこの世界に悪があり、苦しむ者がこんなに多くいるのか)を、私たちにリアリティーある形で突き付けてくる。もはや第三者にとどまることは許されない。あなたがもし主人公の修道女であるなら、この父娘にどう接するか。その問い掛けの前に、私たちはしばしたたずむことになるだろう。

逃げることは許されない。そういった意味で、あまたあるホラー映画以上にホラーな展開に覚悟されたし。逃げられない。けどそこで考え、祈らざるを得ない。そんな気持ちにさせられる102分である。

■ 映画「赤い原罪」予告編

■ 映画「赤い原罪」公式サイト

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